19. 東日本大震災
(2011.4.9)
-自分のための、覚え書き-
さて、地震から日が経ったが、まだまだ日常は落ち着いてはいない。そもそも地震当日の金曜日、私は郵便局にいた。渋谷アーチェリーさんとインポートギアさんへの弓具代金の振込のために。用紙とお金を渡して、処理を待っている所だった。翌土曜日の練習をネタにして、サイト更新しようと考えていた。
待合室の液晶テレビでは国会中継を映していたが、突然「ピコーン、ピコーン」と緊急地震速報が表示される。へぇー、地デジになると、こんなのが出るのかー。今まで、見た事ないもん。
ややあって、揺れがくる。おお、地震だ。
だんだん大きくなる。おっ、でかいな。
かなり大きくなる。もしかして、やばい?
郵便局員が「危険ですので、外に出て下さい」と待ち客を誘導。みんなで外に出る。なんという、揺れ。お年寄りは立っていられないので、しゃがみこむ。小さな子供は怖くて泣き出した。足の裏に、地面がもこもこと動いているのがわかる。
揺れがおさまり、郵便局内に入った職員がしばらくしてまだ出て来た。「停電になってます」
駅前の郵便局だったので、電車も止まっているのがわかった。
振り込みもできなくなったので、振り込み用紙とお金をそれぞれ返される。「明日の土曜日でも、ATMからの振込はできますから」と局員。その場の人間、これほどの被害が出ているとは思わなかったからだ。停電も、じきに解消されるだろうと。
気持ちを落ち着けたいので、駅舎の前の自動販売機で飲み物を買おうとしたら、コインが返却口に戻る。あ、そっか、停電だ。自販機も動かないんだ。あたり一面、停電なのか?
小さな駅前の駐車場に止めた自分の車に戻り、ラジオのスイッチを入れる。地元ラジオ局が地震情報を流している。今後の事を話し合っている郵便局員達に、大声で伝えた。 「宇都宮は震度6弱だってー、ラジオで言ってる」(後に震度6強に訂正された) 郵便局の前には、ちょうど赤い郵便配達車が止まっている。それを指差し「ラジオでやってますよー!」と言うと「ラジオ、付いてないんですー」と返って来た。あ、配達車にはラジオ、無いんだ。
小刻みに余震がくるので、しばらく車の横で時間を過ごす。30分ほどしてから、車を動かした。信号機も消えたままなので、慎重に交差点に入る。今までにないくらいの安全運転をして、家にたどり着く。途中の道沿いでは、石塀が崩れ落ちた家がいくつもあった。
衣料品スーパーは、大きな窓ガラスが割れて、中は天井が落ちていた。そんなにすごかったのか。夫は仕事、しんちゃんは中学校だ。大丈夫だろうか?
転がったバイク。
家の玄関を開けて、びっくり! あ、足の踏み場が無い。傘立て、アウトドア用テーブルなど倒れ、靴箱の上に置いた小物が、ばらばらと床に落ちていた。
リビングに入って、さらに驚く。オーディオコンポとスピーカー、あちこちの本棚の本も、床に落ちてわけがわからん。救いは年末に購入した液晶テレビが倒れてなかった事。
台所は割れた食器が床に散らばっている。開き戸の食器棚から落ちた物だ。私が在宅中にいそうな場所ばかり。これ、家にいたら怪我してた可能性、高いな。
アーチェリー関係の振込で外出していたってゆーのが、なんとも運命か? 水道は出る。床の上にぶちまけられた陶器やガラスの破片で、ガスコンロまでたどりつけない。
どうする? 余震が続く。危険だから、しばらく外で息子の帰りを待とう。学校に電話しても通じないし、私が動いて、すれ違いになっても困る。まだか、まだかと、車の中で息子の帰りを待つ。ラジオは、刻々と被害の深刻さを伝えている。大丈夫だろうな? 大丈夫だろうな? いやな気分だ。
4時すぎになって、ようやく息子の姿が見えた。通学用自転車ではなく、徒歩だけど。
Macまわり。
本は、ほぼ落ちてた。
余震の中、家の中は危険なので車に乗せる。どうする? 夫は連絡がつかないので帰りを待つとして、一人暮らしの母はどうしたろうか? 近くに住む私の母の所に車で行く。安全運転で。
停電しているから、当然玄関チャイムも鳴らない。「おばーちゃーん!」「○○さーん!」と大声で呼びかける。ややあってドアが開き、母は無事だった。
私は室内の外れた引き戸なんかを直し、今後の停電を考えてろうそくや、ラジオの確認。他に掃き出し窓のサッシが1枚、振動で枠から外れて、すきま風。ペアグラス(二重ガラス)なので重い。これは私では直せない。「セコムに電話してもつながらないのよー」と母。そりゃ、こんだけの地震じゃ、無理だろ。
「ウチはいいから、お前も、明るいうちに片付けな」と母。そりゃ、そうか。しかし、家に帰るまで私の思考にあったのは、台所の片付けではない。
予定では郵便局で振り込み、「パン・牛乳・卵の安い日」のスーパーで買い物をし、灯油を買って帰る、ハズだった。つまり、家に食品が非常に少なかった。
とりあえずコンビニに行くか。帰り道のコンビニは、どこも車でいっぱいなので、ひとまず家に帰って車を止め、息子とふたりで徒歩で一番近いコンビニへ。
停電中で薄暗い中、ものすごい人の列。カップ麺の棚は、スカスカ。とりあえず、当座の分として数個、それとスナック菓子。レジには30人くらい並んでいたか? 懐中電灯の中で、電卓で金額を計算して販売してくれた。乾電池は、すでに棚に無い。
コンビニで時間がかかったので、家に帰った時にはすでに暗く、台所の片づけは無理。余震も気になるから、息子と二人、車の中で夫の帰りを待つ。情報が欲しいので、カーラジオはつけっぱなし。冷蔵庫からペットボトルのカルピスと、普段から玄関に置いてある懐中電灯も持ち出す。
7時を過ぎた頃だったろうか、夫が無事に帰ってきた。停電の事もあり、信号が消えて渋滞となった道路を考え、転がっていたバイクを起こして、それで義母(夫の母)の所へ様子を見に行くと言う。義母の住まいは大きな道路を超えていくため、信号の無い中、私は車では危なくてとても行けなかったから。ついでに私の母の家のガラスサッシの取り付けも頼んでおく。
彼は仕事柄、そういうのは得意だ。バイクは左のフロントウィンカーのカバーが割れていたが、エンジンはかかる。
その後、帰宅した夫から義母も無事だとわかり、一息つく。真っ暗な中で、夫の車に移動して、私の携帯電話でワンセグのテレビをつけた。夫の車はホンダのフリードスパイクで、今年になってから買い替えた。車のUSBポートで携帯電話の充電もできたので、バッテリーを気にせずにテレビが観られるからだ。
そして、あまりの被害の大きさにおののいた。まだ大きな余震もあるだろうから、今夜は車の中で過ごそうか。家の中から、布団を車に移動する。「アウトドアに便利な車」なんだけど、まさかこんな時に使うとは。庭でカセットコンロでお湯をわかして、カップ麺。漠然とした不安はあるが、とりあえず、家族は無事だ。
星が、きれいだ。停電のせいで普段は見えない天の川まで、見える。冷えた夜の中、あたたかいコーヒーがおいしかった。
バイクタンクが傷ついてた。
ガソリン入手が難しく、震災から2週間ほど、私の足は自転車だった。いやー、あんなに自転車乗ったのって、何十年ぶり? ある程度生活が落ち着いてから、振り込みしそこなった弓具代金を持って、郵便局にも自転車で。
窓口で「家の中、大丈夫でしたか?」と局員がたずねてきた。地震当日の局員のお兄さんだ。振込先の名称で覚えていたのかな。「ぐちゃぐちゃでしたけど、なんとか」なんだか、うれしかった。