Hits.54 アーチェリーの歴史
2019.12.12


 そういえば、今までこのネタで書いた事が無かったなと思いつつ・・。

 弓と矢は、約1万年前の後期旧石器時代〜中石器時代に発明されたようです。
 南アフリカのシブドゥ洞窟より発掘された、最古の石の矢じり(64,000年前)および最古の骨の矢じり(61,000年前)がありますが、必ずしもアローポイントとは言い切れず、槍の先端である可能性も否定できません。

 最も古い直接的な証拠は、1944年にデンマークのホルメゴール湿地から出土しています。(デンマーク国立博物館所蔵:紀元前7,000年頃と表記)
「ホルメガールの弓」と名付けられた2本の弓の材質はニレの木です。全体の長さは1.50 m(5フィート)、ホルメガード型の弓は青銅器時代まで使用されていたとされます。
 またユネスコ文化遺産登録の石器時代の「イベリア半島の地中海入り江のロック・アート」のうち、スペイン・バレンシア州カステジョンでは人が弓矢を使った戦闘と思われる壁画が存在しています(紀元前1万〜3,500年と推定)。
 弓矢は狩猟や戦いの道具として、あるいは宗教的儀式として、長く人類と共にありました。
Wark Castle
フランスとイギリスの年代記:挿絵 ウォーク城 1460-1480年ごろ
出版:オランダ  イギリス国立図書館ライブラリ

 世界的に弓の引き方としては、主に3種。

・メディタレイニアン型(地中海方式)
 フィンガードロー(手指引き)。
 3、4本の指で弦を引き、親指は使用しない。
 矢は弓の左側につがえる。
bow style
講談社「アーチェリー教本」 全日本アーチェリー連盟 編
1988年発行(絶版)より
・モンゴリアン型(蒙古方式)
 サムズドロー(親指引き)。
 親指を弦にかけ、他の指を添えて引く。
 矢は弓の右側につがえる。日本の弓道は、これにあたる。

・ピンチ型(原住民の弓)
 ピンチドロー(つまみ引き)
 親指と人差し指で弦をつまんで引く。
 アフリカの原住民に多く見られる。

 アーチェリーは、イギリス・フランスを中心とするメディタレイニアン型から発展したもので、ラテン語で弓を意味するアークス arcus が語源。
 その後、8〜9世紀に唐で開発されたハンドキャノンにより銃器の歴史が始まります。より携帯性と扱いやすさを追求しつつ進化した銃器は、15世紀にはオスマン帝国で銃を主兵器とする部隊も登場しました。
 高度な訓練を必要とした弓に比べ、雨には弱いものの、扱いが簡単で飛距離が長く、敵により大きい損害を与えられる銃が、時代の前面に立ったとも言えます。

 時代遅れとなった弓は、銃の所有権を制限されていたいくつかの地域においては継続したものの、世界的には衰退していきます。
 日本においては徳川幕府が銃の輸入及び製造を制限したため、弓術は武士の嗜み(たしなみ)として、あるいは戦闘で使用されていました。

 イギリスでは16世紀ヘンリー8世(在位1509年4月22日 - 1547年1月28日)の時代、彼自身が熱心な射手であったため、まだ軍事的に利用されており、アーチェリーの練習を奨励した多数の法令が発行されています。
 後年の1682年、サー・ウィリアムウッド Sir William Wood 著「ボウマンの栄光、またはアーチェリーが復活した」によれば、ロンドンの射手たちは定期的にパレードや射撃試合を開催し、多くの人が参加しました。1583年9月17日にロンドン市フィンスベリー地区を通る、3,000人の射手のパレードの鮮明な目撃者の証言が記述されています。
 しかし時代には抗えず、17世紀初頭には急速に減少します。1627年2月にはロンドンでのロングボウ製造の深刻な衰退をうったえた、ロングボウ・メーカーの評議会議長への請願書があるほどです。

 レクリエーションとして復活したのは、17世紀の半ば、チャールズ2世(在位1660〜1685年)の時代。
 ヘンリー8世同様、チャールズ2世も熱心なアーチャーで、1652年にフィンスベリーアーチャーズ協会が設立され、彼のイングランド王即位の翌年(1661年)、ロンドンでグランド アーチェリー パレードを開催。ハイドパークで400人の射手が見事なショーを披露しています。
 前述のサー・ウィリアムウッドの研究書はこのチャールズ2世に捧げられた物です。また第2部にあたる「価値のあるショーの記憶とショーディッチ公爵の射撃」(1691年)は、トーマス・ロバーツの「英国のボウマン」(1801年)の巻末に再録されています。
 18世紀には着飾った貴族の社交の場としてのレクリエーション アーチェリーが盛んになり、やがてそれはすべての階級の間に広がりました。

 1844年、イギリスのグランド ナショナル アーチェリー協会(現 アーチェリーGB)は最初の会議をヨークで開催します。次の10年間で徐々に贅沢なお祭りの慣行を削り、ルールは「ヨークラウンド」として標準化されます。

  ヨーク ラウンド
 100ヤード(91.4m)72射
 80ヤード(73.1m)48射
 60ヤード(54.8m)24射
144射、満点1440点。ターゲットは4フィート(121.9cm)。
現在の122cm的はこれに由来すると思われます。
 アーチェリーが現代スポーツとしての形を成したといえますね。

girls' Archery
神学校の後ろにある女子アーチェリー場 (部分) 1850-1930年ごろ Photo:William C   NY公共図書館デジタルコレクション

 そしてアメリカ大陸に渡ったイギリスの清教徒によって、アメリカ合衆国にも広まります。 40ヤード〜60ヤードと、ヨークラウンドに比べると短い距離と本数(計90本)による、アメリカン・ラウンドがあります。
 ヨーロッパに広まったアーチェリーはアジアにも広まり、世界で行われるスポーツとなっていきます。各地域においてアーチェリー団体が存在し、ローカル大会から国際大会まで、多くの人々に愛好されているのです。

 1896年から始まった近代オリンピック、しかしアーチェリーは1920年以来、残念ながら開催競技から除外されてしまう!
 ルールの統一と、国際的イベントの発展を通じてアーチェリーを世界に広めるため、フランス、チェコスロバキア、スウェーデン、ポーランド、アメリカ、イタリアの7カ国により、1931年に国際アーチェリー連盟(FITA:現 world archery)を設立。
 重要な目標はオリンピックにアーチェリーを再導入させる事。それは41年後の1972年にようやく実現し、現在に至ります。
 また1948年イギリスのストーク・マンデヴィル病院にて、戦争で車椅子となった兵士達のリハビリのためのアーチェリー競技会が開催され、これが後のパラリンピックへと繋がっていきます。

 武器としての価値を失った弓は、娯楽、スポーツとして現代に残っているのです。

参考資料:色々読んでみると面白いです。